念願のカレル橋へ~番行きたかった場所~
2013年04月27日
ウィーンとプラハを旅すると決めた時、どこよりも一番に行きたいと思っていた場所は
チェコのプラハにある、カレル橋という所。
そこは家宝である小説『プラハの春』を読んで初めて知った場所です。
もし、この小説を読むことがなければ、
チェコにカレル橋があることも、プラハという街に興味を持つことも、なかったような気がします。
この本を読んだ時は、元同僚と出会う前で別の会社で働いていました。
まさかその後、新たな会社で元同僚と出会い一緒に仕事をし
彼女がプラハへ移住し、そして私が訪れることになるなんて・・・
想像できるはずが、ありません・・・・。
人生における出来事は、すべて繋がっているのでしょうか・・・・・?
------------------------------------------------------------------
小説『プラハの春』の中で、主人公の若き外交官が
彼の愛するカテリーナの一人娘シルビアとカレル橋を歩くシーンがあります。
そのシーンに登場するのが、カレル橋の30ある彫像の中の「聖ザビエル像」の前。
その実物を、この目で見て、そして写真も。
なんてこのない、他の像より特に目立つ訳ではありません。
が、やはり感慨深い・・・のでした。(*^_^*)
カレル橋はプラハの観光地の代名詞で、オンシーズンになると歩けない程の人になるそうです。
もちろん、世界遺産です。
バームクーヘンが行った4月の半ばは、オンシーズンの一歩手前だったお蔭で
歩けない程の人混みはなく、30ある彫像のすべてを写真におさめることができました。

と、思っていたのに写真をチェックすると、どうしてもひとつ足りない・・・。
ミスったようです、ひとつだけ撮り忘れあり。(無念)
この無念を晴らすべく、いつか、また、カレル橋へ・・・。
これで、再度、行く理由ができました。(笑)
想像していたカレル橋は、もっと幅があって長いと思っていたのですが
実際は、とてもこじんまりとしてゆっくり歩いても7,8分もあれば渡れる程でした。
その間に、ほぼ等間隔の左右に、彫像が30あります。
それぞれに名前と意味がありますが、そこまでは勉強しておりません。
とにかく、カレル橋を渡りブルタバ川を眺めたかったのです。

まぁ、京都で言う四条大橋的な感じでしょうか。
市民の為の橋であり、鴨川を眺める絶好なポイントであり・・・・。
五条大橋にある牛若丸と弁慶の像が30ある・・・みたいな?(違う?笑)
それでも、歴史と趣と川の大きさは負けてます。世界遺産指定という所も。
そんなカレル橋は、やはり観光地なので色々なお店や音楽を奏でる人が沢山。
中でも、彼はカレル橋ではチョット有名人なのだとか。(プラハ在住元同僚曰く)

彼が持っている機械をクルクル回すと、とても軽快でレトロな音楽が流れてきます。
カーネルサンダースかと思いました。ぷぷ。

↑この楽団はもちろん、チップを入れるBOXもありますが、CDも発売中。
なかなか、いい雰囲気だしてました。
オンシーズンは、歩けない程の人ですが、真冬は、ほぼ、無人になるそうです。
寒さ厳しいチェコは、真冬はマイナス10度は当たり前で、
プラハ在住3年目の元同僚は、最高でマイナス17度を経験したそう・・・。
その時は、吐く息が髪について凍る・・という
まつ毛が凍るという・・・鼻水が凍るという・・・経験ありません。
そんな真冬のカレル橋を撮影した写真を売っている男性がいました。
他にも色々な写真があったのだけど、真冬のカレル橋の写真に一番、魅かれました。
彫像が雪と氷で固まっている感じ。(もともと動かないのだけど)
痛い程の寒さが、その彫像に霜柱が付き
生きていないのに寒そうな顔に見える彫像の表情が
とてもリアルに伝わってきて、より一層、プラハの寒さを感じさせました。
プロのカメラマンだというそのお店の彼と少しだけ、話しました。
素敵な写真だったけど、チョットお高いのと大きすぎ・・・・。
部屋に飾るには、チョット寒々しいので買いませんでした。(苦笑)
でも、これを撮影した時の体感温度は、きっとマイナス25度くらいのはず。
だって、ブルタバ川からの風を受けるカレル橋の上はきっと、気温以上に寒かったはずです。
NHKの「名曲アルバム」でよく流れていたスメタナ作曲の
「我が祖国 モルダウ(ブルタバ)」という曲をご存じでしょうか。
題名と作曲家を聞いてもわからなくても、その曲を聴けばきっと
「あ~~~知っている!」と思うと思います。
その優しく穏やかな旋律は、私がプラハで一番行きたかったカレル橋から見る
ブルタバ川の流れと、全く同じでした・・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=xihiNhEqt6Y&feature=player_embedded
You Tube サイトより。
穏やかに流れるブルタバ川は、社会主義国としての悲しい歴史を静観し
多くの人々の生死や戦いを受け止めてきました。
そして今も、あの時と変わらず、黙々と同じように流れています。
小説『ブラハの春』の冒頭に、こんな一文があります。
(1968年に起きた「プラハの春」民主化運動に対抗して、
ワルシャワ条約軍がプラハを席巻し、その事を外交官が、日本へ報告した際の文)
「静かな美しいプラハの市街は、一夜にして
硝煙と戦車の走る轟音と学生のシュプレヒコールに包まれてしまった。
いつも微笑みを忘れなかったドゥプチェクはどこへ行ったのか。
チェコスロバキアは自らの統制力を失った。
変わらないのは、ブルタバの静かな流れのみである。」
チェコのプラハにある、カレル橋という所。
そこは家宝である小説『プラハの春』を読んで初めて知った場所です。
もし、この小説を読むことがなければ、
チェコにカレル橋があることも、プラハという街に興味を持つことも、なかったような気がします。
この本を読んだ時は、元同僚と出会う前で別の会社で働いていました。
まさかその後、新たな会社で元同僚と出会い一緒に仕事をし
彼女がプラハへ移住し、そして私が訪れることになるなんて・・・
想像できるはずが、ありません・・・・。
人生における出来事は、すべて繋がっているのでしょうか・・・・・?
------------------------------------------------------------------
小説『プラハの春』の中で、主人公の若き外交官が
彼の愛するカテリーナの一人娘シルビアとカレル橋を歩くシーンがあります。
そのシーンに登場するのが、カレル橋の30ある彫像の中の「聖ザビエル像」の前。
その実物を、この目で見て、そして写真も。

なんてこのない、他の像より特に目立つ訳ではありません。
が、やはり感慨深い・・・のでした。(*^_^*)
カレル橋はプラハの観光地の代名詞で、オンシーズンになると歩けない程の人になるそうです。
もちろん、世界遺産です。
バームクーヘンが行った4月の半ばは、オンシーズンの一歩手前だったお蔭で
歩けない程の人混みはなく、30ある彫像のすべてを写真におさめることができました。

と、思っていたのに写真をチェックすると、どうしてもひとつ足りない・・・。
ミスったようです、ひとつだけ撮り忘れあり。(無念)
この無念を晴らすべく、いつか、また、カレル橋へ・・・。
これで、再度、行く理由ができました。(笑)
想像していたカレル橋は、もっと幅があって長いと思っていたのですが
実際は、とてもこじんまりとしてゆっくり歩いても7,8分もあれば渡れる程でした。
その間に、ほぼ等間隔の左右に、彫像が30あります。
それぞれに名前と意味がありますが、そこまでは勉強しておりません。
とにかく、カレル橋を渡りブルタバ川を眺めたかったのです。

まぁ、京都で言う四条大橋的な感じでしょうか。
市民の為の橋であり、鴨川を眺める絶好なポイントであり・・・・。
五条大橋にある牛若丸と弁慶の像が30ある・・・みたいな?(違う?笑)
それでも、歴史と趣と川の大きさは負けてます。世界遺産指定という所も。
そんなカレル橋は、やはり観光地なので色々なお店や音楽を奏でる人が沢山。
中でも、彼はカレル橋ではチョット有名人なのだとか。(プラハ在住元同僚曰く)

彼が持っている機械をクルクル回すと、とても軽快でレトロな音楽が流れてきます。
カーネルサンダースかと思いました。ぷぷ。

↑この楽団はもちろん、チップを入れるBOXもありますが、CDも発売中。
なかなか、いい雰囲気だしてました。
オンシーズンは、歩けない程の人ですが、真冬は、ほぼ、無人になるそうです。
寒さ厳しいチェコは、真冬はマイナス10度は当たり前で、
プラハ在住3年目の元同僚は、最高でマイナス17度を経験したそう・・・。
その時は、吐く息が髪について凍る・・という
まつ毛が凍るという・・・鼻水が凍るという・・・経験ありません。
そんな真冬のカレル橋を撮影した写真を売っている男性がいました。
他にも色々な写真があったのだけど、真冬のカレル橋の写真に一番、魅かれました。
彫像が雪と氷で固まっている感じ。(もともと動かないのだけど)
痛い程の寒さが、その彫像に霜柱が付き
生きていないのに寒そうな顔に見える彫像の表情が
とてもリアルに伝わってきて、より一層、プラハの寒さを感じさせました。
プロのカメラマンだというそのお店の彼と少しだけ、話しました。
素敵な写真だったけど、チョットお高いのと大きすぎ・・・・。
部屋に飾るには、チョット寒々しいので買いませんでした。(苦笑)
でも、これを撮影した時の体感温度は、きっとマイナス25度くらいのはず。
だって、ブルタバ川からの風を受けるカレル橋の上はきっと、気温以上に寒かったはずです。
NHKの「名曲アルバム」でよく流れていたスメタナ作曲の
「我が祖国 モルダウ(ブルタバ)」という曲をご存じでしょうか。
題名と作曲家を聞いてもわからなくても、その曲を聴けばきっと
「あ~~~知っている!」と思うと思います。
その優しく穏やかな旋律は、私がプラハで一番行きたかったカレル橋から見る
ブルタバ川の流れと、全く同じでした・・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=xihiNhEqt6Y&feature=player_embedded
You Tube サイトより。
穏やかに流れるブルタバ川は、社会主義国としての悲しい歴史を静観し
多くの人々の生死や戦いを受け止めてきました。
そして今も、あの時と変わらず、黙々と同じように流れています。
小説『ブラハの春』の冒頭に、こんな一文があります。
(1968年に起きた「プラハの春」民主化運動に対抗して、
ワルシャワ条約軍がプラハを席巻し、その事を外交官が、日本へ報告した際の文)
「静かな美しいプラハの市街は、一夜にして
硝煙と戦車の走る轟音と学生のシュプレヒコールに包まれてしまった。
いつも微笑みを忘れなかったドゥプチェクはどこへ行ったのか。
チェコスロバキアは自らの統制力を失った。
変わらないのは、ブルタバの静かな流れのみである。」